白雲山 妙光寺
  • 宗派:浄土真宗本願寺派
  • 山号:白雲山

775年(宝亀6年)考謙天皇の勅命により仁徳帝行宮の跡に、奈良の唐招堤寺の末寺として妙光律寺を建立されたのが妙光寺のはじまりです。その後825年(天長2年)弘法大師の頃に妙光院と称せられ真言宗の寺となり約500年続きました。1339年(暦応2年)本願寺3世覚如上人の時、真言宗から浄土真宗に改宗、浄土真宗本願寺末寺となり妙光院を現在の妙光寺と改めたと伝えられております。その後、3回の火災に遭い2回の移転を重ね、現在まで26代の住職が続いております。かつて、旧尼崎町の宮町字妙光寺町、尼崎市西元町北通2丁目(現在の開明町2丁目)にありましたが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失の後、尼崎市難波本町8丁目(現在の西難波町3丁目)に移転、さらに尼崎市西難波町2丁目の現在地に移転致しました。隣接する西難波墓地は1925年(大正14年)に尼崎市が西墓を移転して新設したものです。

仁徳天皇と住職の姓の由来

仁徳天皇がしばしば尼崎に行幸され、好んでお立ちよりになられたのが以前妙光寺のあった場所であると伝えられております。その土地には梅の老樹とともに霊泉が湧き出ており梅水町とも称されておりました。聖地として扱われ、一般大衆の立入りを禁じられていたその霊泉は「梅泉 / うめいずみ」と名付けられ、住職の姓である「楳泉 / うめいずみ」はこの古事に由来するものです。仁徳天皇は、その際、左写真の岩に御冠を置きご休憩されたと伝えられております。その後この地を記念し、ご自身の御冠を埋められたのが御冠塚であり、寺の移転に伴って場所は替わりましたが、現在も境内にはその岩が御冠塚として残っております。また上写真の御冠塚碑は、第23世住職元秀が建立したものです。

境内にある大きな石のたもとには

妙光寺の境内には仏足石(ぶっそくせき)という仏の足形を刻んだ大きな石があります。仏足石とは、奈良時代にインドから唐を経て伝わったお釈迦様の足形を石に刻み信仰の対象としたものです。インド初期仏教では仏像をつくることはおそれおおいこととされ、このような仏足石や菩提樹(ぼだいじゅ)などを用いて仏を表現致しました。仏足石にもいくつか種類があり妙光寺にある仏足石は足下二輪相(そくげにりんそう)といい、両足を揃えた比較的古い形式のものです。妙光寺ではこの仏足石の下に永代納骨させていただいておりますので、ご関心のある方はお気軽にお問合わせください。

本堂の屋上にはそびえ立つ塔と鐘

妙光寺の本堂の屋上には一風かわった形の塔がそびえ立っております。この塔は、第24世住職元隆がインドに留学中、世界遺産であり、お釈迦様が悟りを開いた場所とされるブッダガヤにある、大菩提寺の大塔にインスピレーションを受け、1960年の復興建設の際、元隆により考案され建設されたものです。また塔の前方の梵鐘は毎日定時刻を知らせるとともに、毎年12月31日には除夜会を勤め、近隣の方々の年末風情を味わう楽しみのひとつとなっております。