先人たちは、真西に沈む夕日を見ながら、すべてのいのちの帰るべき世界へと思いを馳せてきました。それがお彼岸の由来とされています。「西方」とは、単に方角を示すのではなく、すべてが帰する世界を指し示す象徴表現です。「西」は「酉」と同じ語源で、鳥が巣箱に帰って安心して羽を休めている姿で、すべてが包容されている世界を表すそうです。
その情景が表現されている歌こそ、『夕焼け小焼け』(作詞:中村雨紅 作曲:草川信)ではないでしょうか。
「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる おててつないでみなかえろう カラスと一緒にかえりましょう」
この歌に、幼い頃を追憶する方も少なくないはずです。私も子どもの頃は、友だちと野球などをして夢中になって遊んでいました。夕方の六時になると、お寺の梵鐘が鳴っていました。すると、その音が、「ご飯ができたよ!早く帰っておいで!」との母の声に聞こえてきて、友だちにさよならをして「ただいま!」と帰った日々が思い出されます。この歌の何とも言えない優しさと温もりを感じるのです。
私たちは必ず人生の夕暮れを迎えなければなりません。人間は誰もが、老いによって衰え、病によって傷つき、死によって滅んでいく必然を抱えて生きています。場合によっては思いもかけない出来事に遭遇し、親しい人と別れたり、すべてのものを一瞬のうちに失い悲嘆にくれることもあり得るのが、厳しいかな此岸(娑婆・思い通りにならない世界)の現実です。「南無阿弥陀仏」を親鸞さまは「本願招喚の勅命」とお示し下さいました。今、この私に、人生を苦しみ悲嘆だけでは終わらせまいと、彼岸(さとり・まことの世界)よりすくいの声が届けられているのです。いのちの事実に目を背け、空しく過ごしている私に、生きるよろこびと死ぬ意味を与えたいと、阿弥陀さまは願われています。そして、「目覚めよ」「われにまかせよ」と、いつでも、どこでも寄り添い、支えて下さっているハタラキそのものが、「南無阿弥陀仏」であります。そのハタラキに気づかされ、ひらけてくる道こそが「おててつないでみなかえろう」という、仲間と支え合いながら共に歩む仏道であると味わえるのではないでしょうか。
お彼岸のご縁を人生の見直しの時間と受け止めて、ご一緒にみ教えに問い聞かせて頂きましょう。夕焼け小焼けで日が暮れる、その前に…。
宏林晃信師
公私ともにお育てを賜り、令和3年1月14日に還浄された、兵庫教区阪神南組浄元寺前住職 宏林晃信先生のお彼岸のご法話を掲載させていただきます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますが、その彼岸の頃、総永代経法要をお勤め致します。
今年も神戸市高松寺より谷川弘顕先生にご法話をいただきます。
先人のみ跡を慕いつつ、ご焼香の上、ご法話お聴聞ください。浄土真宗はお聴聞に極まると申します。どなた様もお誘い合わせの上ご参拝くださいませ。合掌
日時:9月21日(土)午後2時
法話:谷川弘顕師(本願寺派布教使・神戸市高松寺前住職)