妙光寺の阿弥陀如来像にはある言い伝えがあります。
尼崎2代藩主青山播磨守はある日、海に船を出しておりました。
その際、嵐に遭い、船は沖へ沖へと押し流され、治まったころには夜深く、自分たちではどうすることもできませんでした。
その時、青山播磨守ははるか遠くに一筋の光を認め、これを目印に何とか岸にたどり着くことができたのです。
青山播磨守は家来とともに無事を喜び、なおも光がさす方へと向かいました。
やがて土の中より輝く光を認め、すぐにその地を掘らせたところ、土の中深くから1体の阿弥陀如来像が現れたというのです。
後の1711年(正徳元年)青山播磨守は尼崎から信州飯山城へ国替えとなり、その際、阿弥陀如来像を妙光寺へ寄贈していただいたと伝わっております。
そのため、阿弥陀如来像の背部には青山播磨守寄贈の記とともに掘り出された際についた鍬の傷跡がくっきりと残っております。合掌